本能寺

コスタリカの監督って、ボン・クレーに似てない?(今日のそっくりさん)


いや、始まりましたねW杯。まぁ蝦夷では「よさこいソーラン祭」とかも始まって、それなりに世間は盛り上がってるみたいです。でまあ、そんなお祭の喧騒の中、私はとゆーと、一人静かに『功名が辻』に注目しているわけなんですけれども。
だって、明日はアレですよ。いよいよ「本能寺の変」ですよ。仲間“千代”由紀恵はいーんですよどうでも。何かむちゃくちゃハマってる、舘“信長”と、今度はお父さんの方の、西田“家康”が見られれば、私はそれで良いんです(笑) 坂東“光秀”の「敵は本能寺にあり!」ですわよ。いやいや、私はこの「本能寺の変」がめっちゃ好きなのですよ。覚え方は「いちごパンツ(1582年)で本能爆発」って『ラジオToHeart2』で言ってましたよ。そんなんどうでもいーですけど、本能寺なのですよう。


明智光秀が謀反を起こした理由は、信長に謂れの無い虐待を受けて我慢の限界を超した、と大体の人は認識されてると思いますが、その虐待の理由は、世を統べていくにしたがって「我こそが天皇である」と日本国君主を名乗り始めた信長が、天皇に権威を仰ぎながら、その元で信長に天下泰平の世を作ってもらうという考え(尊皇)だった光秀を煙たがり始めたって事みたいですな。光秀にしても信長に裏切られたという思いと、「天皇を名乗るとは不届きである」と義憤に駆られて信長を討とうとしたわけで、ものすごくぶっちゃけてゆーなら、光秀的に「天誅」だったんでしょうな、本能寺の変は。
・・・とまぁ、昔の事ですから、何が本当で嘘か分かりませんけどね。光秀ではなく他の武将があの「日本史」を書いた宣教師・フロイスに唆されて信長を討ったとゆー説もあるし、家康・光秀共謀策とか、秀吉が光秀を陥れたとかゆー説もあります。ま、歴史なんて色々闇に葬られたりしている部分が多いですからねえ。