今日の辞世


  旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る


さて、松尾芭蕉の辞世として有名な句でございますけれども、要は「結果的に最期に詠んだ句」であって、前詞に「病中吟(病床にあって詠んだ句)」とある事から、芭蕉本人も別に辞世として詠んだつもりはなかったってのが昨今の解釈でございますな。死の直前まで「夢は枯野をかけ廻る」か「なをかけ廻る夢心」かとで悩んで、枕元の弟子たちにどちらが良いだろうかと尋ねていたぐらい創作意欲は衰えていなかったようですが、問われた弟子たちはそのどちらが良いかってゆーよりも、上の句(六文字)の方が気になっていたみたいですわね。


  此夜深更におよひて介抱に侍りける呑舟をめされ、
  硯のおとからゝと聞えけれハ、いかなる消息にやと思ふに、
  病中吟  旅に病て夢ハ枯野をかけ廻る  翁
  其後支考をめして、なをかけ廻る夢心といふ句つくりあり。
  いつれをかと申されけるに、其五文字ハいかに承り候半と申さは、
  いとむつかしき御事に侍らんと思ひて、
  此句なにゝかおとり候半と答へけるなり。
  いかなる微妙の五文字か侍らん。今ハほいなし。
                ――芭蕉翁追善之日記より


  夜更けに呑舟(弟子の一人)を呼び出した後、墨を磨る音が聞こえたので
  一体、何してんのかしらと思っていたら、口述を書かせてたみたいっすね。
  病床にて詠む  旅に病て夢は枯野をかけ廻る  翁(芭蕉
  その後に支考(日記の著者)を呼んで、「“なをかけ廻る夢心”とゆー
  バージョンも考えたんだがどちらが良い?」と聞かれたわけでございますよ。
  それより上の五文字はどうなるのでしょうか、と聞きたかった所だけども、
  体調が悪いのに余計に頭を悩ます必要も無いかと、一応空気を読んで、
  「この句で良いと思いますよ」と無難な答えを返した次第ですわ。
  しかし、一体どのような上の五文字を考えていたんだろうか。
  今となっては聞くことも出来ないんだけれども。


ま、何やかんやと考察されてますけど、「毎日毎日の句を辞世の気分で詠むもの」とゆーのが芭蕉の信念だったようなので、この句も辞世と云っちゃえばそれでも構わないんですわよね。「病中吟」と断りを入れなかった(病床に伏す前に詠んだ)最後の句は「秋深き 隣は何を する人ぞ」だったみたいですけど、この句も辞世と云えば辞世。つーか面倒くさい事考えないで、とりあえず詠みたい時に詠んで、何時終いになっても構わないってのが正解な気も致しますわねえ。まぁどうでもいいですけど。ちなみに「どっちが良いかなぁ」と悩む芭蕉の近くで、場の空気に緊張した弟子の一人が派手にすっころんで、「はっはっは、しょうがない奴ですねぇ、翁」と皆が笑いながら芭蕉を振り返ると、何時の間に息を引き取っていたみたいですわね。この話が本当なら、芭蕉の死因は脱水症状よる衰弱死じゃなくて心臓麻痺とかだったんじゃないかしら。