今日の辞世



  来山はうまれた咎で死ぬる也  それでうらみも何もかもなし


元禄時代に活躍した談林派の俳人・小西来山の辞世の句でございます。談林派ってのは江戸時代に栄えた俳諧の一派(井原西鶴も派を代表する俳諧師なんですけど、『好色一代男』等の浮世草子作品の方で有名でございますわね)で、言葉遊びや駄洒落など軽妙な言い回しの句が特色なんですけども、来山の句は芭蕉の作風(蕉風)に通じるものも見られて、何事にも型に嵌まらないとゆーか、物事にはあまりこだわらない方だったみたいですわね。代表作にも挙げられる「御奉行の名さえも知らず年暮れぬ(御奉行の名前を知らなくても一年は過ごせる)」は、元禄当時好景気に沸く大坂に対しての皮肉とも云われてますけど、奉行を愚弄したと取られて大坂から追放されてしまいました。が、特に気にする様子も無く、浪花の南今宮村に「十萬堂」という庵を建てて移り住んで静かな晩年を過ごしたようでございます。ちなみにこの十萬堂跡地には現在石碑が建っているようですが、半ばゴミ捨て場に化しているとかゆー話を聞いたんすけどホントかしらん。物事にあまりこだわらない方の元には物事にはあまりこだわらない人が集うのかしらねえ。他にも酩酊して夜道をぷらぷら歩いているところを「怪しい奴」と目付に咎められ投獄された事もあったようですが、迎えに来た門人に「自炊しなくても良いから気楽だった」と笑いながら応じたとか。何事にも拘らない。まぁしょうがないって感じに大らかに物事を捉え、怒りや悲観等で己を失うことを良しとしなかった人だったのかなぁと個人的には思いますわ。だからこその、この辞世の句、なんでしょうねえ。